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福岡地方裁判所 昭和49年(ワ)171号 判決

原告

西兼次郎

原告

西静香

右原告両名訴訟代理人

岡林憲正

被告

増田益男

右訴訟代理人

倉増三雄

主文

一  被告は、原告西兼次郎に対し金二三六万七四三一円、同西静香に対し金四〇万円及び右各金員に対する昭和四六年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。ただし被告が原告西兼次郎に対し金一〇〇万円、同西静香に対し金二〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  被告は、原告西兼次郎に対し金一三五〇万八二二九円、同西静香に対し金一二三〇万八二二九円及び右各金員に対する昭和四六年二月二四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二、被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  当事者

原告西兼次郎は訴外亡西康次(以下康次という。)の実父であり、原告西静香は原告兼次郎の妻であつて九年間にわたり康次を養育してきたものであるから、康次との間に事実上の養親子関係があるものである。被告は増田外科医院を経営している外科医師である。

2  康次の受傷から死亡に至る経緯

(一) 昭和四六年二月一三日午後一時二〇分頃、当時小学五年生の児童であつた康次は、雨あがりの九電病院(福岡市東区大字浜男三九四番地)の建築工事現場で古釘を踏み、右足裏の親指つけ根部分に負傷したので、自宅で原告らから、オキシフル消毒をしたうえ赤チンを塗布し包帯をする等の治療を受け、同月一六日まで同様の治療を受けた。

(二) 同月一七日、康次の右患部が腫れ、痛みがあつたので、原告静香は同兼次郎の指示により、同日午前九時半頃、康次を連れて増田外科医院(以下増田医院という。)を訪れ、被告の診療を受けた。その際原告静香は「四日前に康次が近くの病院の工事現場で釘を踏みました。痛がりますので連れて来ました。」と被告に告げたが、被告はそれ以外に問診をせず、康次を診療台の上に寝かせて四分程の間に、傷口の上にガーゼを絆創膏で止めて包帯をして傷の処置を終えた。その際被告は康次に対し注射をしたり傷口を切開するなどの処置はしなかつた。そこで原告静香が被告に対し「どうですか。」と尋ねたところ、被告は「たいしたことはない。うみを出しておいたから、もう二、三日つけかえに来れば良くなりますよ。」と答えた。また同原告が「破傷風はこわいそうですね。」と尋ねたのに対しても被告は「はい、こわいですよ。」と答えたのみで、同原告は痛み止めの薬を渡されて帰宅した。

(三) 翌一八日午前一〇時頃、同原告が康次を連れて増田医院へ行つたところ、看護婦が包帯やガーゼをつけかえただけであつた。同日の夕食時頃、康次が口がおかしい、開きにくいと言い出した。その翌一九日午前九時半頃、康次は一人で増田医院へ行き、前日同様の治療を受け、その後歯科医院へ行つて虫歯の抜歯治療を受けた。

(四) 翌二〇日午前六時頃、康次が首がおかしいと言い始め、午前八時半頃からは康次の身体が痙攣し始めたので、原告らは康次を前記九電病院に連れて行つたところ、同病院の坂元秀三医師は、破傷風であると診断し、患部を切開して開放創とし、一〇万単位の抗毒素血清注射を打つた。このときには康次は口が開かず全身が痙攣していた。同医師は翌二一日にも血清注射を打ち、二三日には気管切開をするなどの処置をとつたが、遂に二四日午前六時康次は死亡した。

3  被告の過失

(一) 当時の医学界における一般的知識水準によれば、本件のように古釘による刺創の場合は、他の傷害に比較し破傷風感染の危険が最も高い場合にあたり、また雨あがりには破傷風菌が地表面に現われ易く感染の危険が高いとされていたほか、破傷風はその症状が発症した後の治療は非常に困難で死亡率は極めて高率であるが、発症前の潜伏期における予防処置により、比較的容易に発症を防止しあるいは少なくとも死亡の結果を回避し得るとされていた。そのうえ、前記九電病院のある香椎地区は破傷風の危険地区といわれていた。したがつて、被告としては、二月一七日の初診の段階で康次及び原告静香に対し問診により、受傷した場所、天候その他受傷の具体的状況を確認し、破傷風罹患の可能性を考えるべき注意義務があつたといえる。

(二) そして、破傷風に罹患するおそれがあると診断した医師は、その予防的処置として、当時の臨床医学において一般化していた次の各処置を講ずべき注意義務があつた。

(1) 患部を切開し、砂、泥等の異物を除去し、洗滌消毒して開放創とすること。

(2) ペニシリン等の抗生物質を投与する化学療法を行うこと。

(3) 破傷風に対し早期防禦効果のある破傷風トキソイド(以下、単にトキソイドという。)を大量に注射すること。

(4) 破傷風抗毒素血清を予防的に投与すること。

(5) 患者側に対し、破傷風の典型的な前駆症状が開口障害であることを教示し、その症状が現れたときには直ちに医師の診療を受けるよう指示すること。

(三) しかるに、被告は、康次が前記創傷により破傷風に感染する可能性を認識せず、その結果破傷風予防のため必要な前記各処置を怠つたものであり、この点は被告の過失というべきである。

4  被告の診療契約に基く債務の不完全履行

被告は、前記のとおり、昭和四六年二月一七日、原告兼次郎の使者もしくは代理人である原告静香から康次の負傷について診療の依頼を受け、これに当つたのであるから、康次の法定代理人である原告兼次郎との間に康次の負傷につき適切な診断及び治療をする旨の診療契約を締結したものである。そして、右診療契約に基く医師の善管注意義務の中には、前項で述べたような適切な診断と必要な予防的処置を講ずべき義務が含まれるものといえるから、被告がこれを怠つたことは、診療契約上の債務の履行が不完全であつたことに帰する。

5  因果関係

(一) 2項の事実からすると、康次は、二月一三日古釘を踏んで負傷し、その傷口から破傷風菌が侵入したため破傷風に罹患して死亡したものである。しかし、同月一七日に被告の診療を受けた際、被告が3項で述べたような適切な診断と必要な予防処置を講じておれば、康次は破傷風により死亡することはなかつたはずである。

(二) 康次の場合、二月一八日の夕方から開口障害が始まつたこと前記のとおりであるから、その潜伏期は一週間以内であつたところ、このような場合には早期かつ適切な予防処置及び治療を行わなければ九一%の死亡率であるといわれている。転医後の九電病院の坂元医師の治療は適切かつ十分なものであつたが、同医師の治療を受けた二月二〇日朝の段階ではすでに時期を失していたため、康次は九一%死亡する運命にあつたのであり、同医師の治療も効を奏さず康次は死亡したものである。したがつて、被告が前記のような適切な診断及び予防処置を講じなかつたことと康次の死亡との間には相当因果関係がある。

6  損害

(一) 葬儀費用

原告兼次郎が康次の葬儀のために出損した費用のうち金二〇万円は、被告の前記過失ないし不完全履行と相当困果関係にある損害である。

(二) 康次の逸失利益

康次は、死亡当時満一一才一一か月余の健康な男子であつたから、満一八才から満六七才に達するまでの四九年間就労可能であつたと考えられ、その間に昭和四八年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、年令計の男子労働者の平均給与額により算出した年収一六二万四二〇〇円の収入を得ることができたはずである。右収入金額から生活費として五割を差引き、年五分の割合によるホフマン式計算により中間利息を控除すると、康次死亡時の逸失利益現価は金一六六一万六四五九円となる。

ところで、康次の相続人は、父の原告兼次郎及び母の訴外西(旧姓)タツエであるから、原告兼次郎は右逸失利益の二分の一の金八三〇万八二二九円の損害賠償請求権を相続により取得した。また原告静香は、前記のとおり康次の事実上の養親の地位にあつたものというべきであり、康次の死亡により同原告の康次に対する扶養請求権が侵害されたものとみることができ、その損害額は原告兼次郎の右相続額と同額というべきである。

(三) 慰藉料

康次自身の慰藉料は金四〇〇万円が相当であり、その二分の一の金二〇〇万円の請求権を原告兼次郎が相続により取得した。同原告固有の慰藉料は金三〇〇万円が相当である。事実上の養母である原告静香は、実母同様の精神的苦痛を受けたものであるから民法七一一条の「母」に準ずるものとして慰藉料請求権を有するというべきであり、康次自身の慰藉料請求権を相続しないことを考慮すると、その額は金四〇〇万円が相当である。

7  結論

よつて、被告に対し、不法行為もしくは債務不履行に基き、原告兼次郎は金一三五〇万八二二九円、同静香は金一二三〇万八二二九円及び右各金員に対する本件不法行為もしくは債務不履行により康次が死亡した日である昭和四六年二月二四日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する被告の認否及び主張

1  請求原因1の事実のうち、原告兼次郎が康次の実父であり、被告が増田外科医院を経営する外科医であることは認めるが、その余の事実は知らない。同2の事実のうち、昭和四六年二月一七日午前九時頃康次が原告静香に付添われて増田医院を訪れ、同原告が被告に対し、康次が四日前に右足蹠に釘を踏んだ旨述べて被告の治療を受けたこと、同月一八、一九日にも康次が治療のために来院したこと、同月二四日午前六時に康次が死亡したことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。同3の(三)のうち被告が(二)の(2)ないし(5)の処置をとらなかつたことは認めるがその余の事実はすべて否認し、4、5の事実及び同6の損害の主張はすべて争う。

2  被告の過失ないし不完全履行について

(一) 原告らは、被告が康次の破傷風罹患の可能性を考えなかつた旨主張する。しかし破傷風菌は病理的にはどんな創傷からでも侵入する可能性があり、康次の場合も、被告は問診により判明した受傷態様から見て破傷風罹患の抽象的可能性を考え、原告静香に対し破傷風の恐しさを説明した。けれども破傷風はその発症頻度が極めて低く、稀有の疾患であるから、軽重を問わず無数の傷害の治療につき全て破傷風罹患の具体的可能性を考え、その予防処置を講ずべきことを、医師の義務ないし契約上の債務とするには問題があり、これをいたずらに肯定するときはそれでなくとも問題とされている濫医療の傾向を助長させることとなり不当である。

(二) 仮に、被告において、康次の破傷風罹患の具体的可能性を考え、予防処置を講ずる義務があるとしても、原告らが請求原因3の(二)で主張するような点の過失はない。即ち

(1) 被告は、二月一七日の初診の際、康次の患部を切開排膿したうえ、辺縁切除し、創底を洗滌消毒して開放創とする処置をとつている。

(2) 受傷後における破傷風の予防処置として、ペニシリン等の抗生物質を投与するなどの化学療法については、当時においてはもちろん現在でも、それが有効な処方であるとの定説はなく、その効力が疑問とされていたのであるから、右のような化学療法を施すべきか否かは医師の裁量の範囲内の問題というべきであり、被告がこれを怠つたとしても過失ということはできない。

(3) トキソイドについては、かつては遅行性の予防注射と考えられていたもので、受傷前に一定の免疫性を生ずるに必要な量と回数の接種を経た者、すなわち初回0.5ml、一ケ月位後に0.5ml(第二回)注射し(初回免疫)、その約一年六ケ月後に0.5ml以下を注射し(追加免疫)、これらを完了した者に数年毎に0.5mlを注射しておき、破傷風感染のおそれのある負傷をしたとき直ちに0.5mlの注射をすれば、初めて破傷風の予防的効果が生じるとされており、このような免疫のない者に、いきなり受傷時に接種しても効果がないとされていたもので、これが昭和四六年当時の一般臨床医学の水準であつた。もつとも昭和四三年頃には、受傷後二四時間以内に大量(二CC位)接種すれば、破傷風毒素が中枢神経に吸着する(このときが破傷風の発症である。)ことを阻止し、それによつて破傷風の発症を阻止し、仮に阻止できなくてもそのための死亡の蓋然性を多少とも少なくすることができるとするトキソイドの早期防禦効果に関する新しい研究が発表され、昭和四六年当時には疑義があるにしても有力な臨床医学になつていた。しかし受傷後二四時間経過後であつても、トキソイド接種により、その時点までに破傷風毒素が中枢神経に吸着したものは止むを得ないが、その後における破傷風毒素の中枢神経への吸着は阻止できる可能性があり、それまでの吸着量が少量であれば死亡の蓋然性を低下できるから、トキソイドを接種すべきであるとの見解は、未だ医学界には発表されておらず、一個の医学理論以上の域を出ないものであつた。したがつて、前記した基礎免疫をつけていなかつた康次のような場合に、受傷後四日も経た時点でもトキソイドの早期防禦効果を期待しうるか否かについては、当時ではむしろ否定的に考えられていたのである。してみると、受傷後四日経過している康次に対しトキソイドを接種すべきか否かについても医師の裁量の範囲の問題というべきであり、これを怠つたからといつて過失あるものということはできない。

(4) 破傷風抗毒素血清は、副作用として異種蛋白によるシヨツク死を起す危険が多いので、破傷風の発症以前に予防的に使用すべきでなく、破傷風の診断がほぼ確定した段階で使用すべきだとするのが当時も現在も臨床医学の常識となつているのであるから、これを使用しなかつた点は過失といえないこと当然である。原告らの主張によると康次は一八日夕方から開口障害が始つたというのであるが、破傷風の初期症状は当初において発見することが困難であり、他の疾患とも類似するため診断が難しいうえ、一八、一九日に康次が来院した際には他覚的に破傷風の徴候は発見できなかつたし、開口障害がある旨の告知も受けなかつたから、この段階で破傷風と診断して抗毒素血清を投与すべきであつたということもできない。要するに、医師としては患者の協力なくしては適正な診療はできないのである。

3  因果関係について

破傷風は、創口から破傷風菌が侵入して発病する急性創傷性伝染病で、菌の侵入後数日ないし数週間の潜伏期を経て咬痙、痙攣、強直等の症状を呈し、痙攣による窒息、肺炎あるいは心臓麻痺を起して死に至るものである。そして潜伏期が一週間以内のものでは死亡率九一%、二週間以内のものでは八二%、二週間以上のものでも五〇%といわれる恐しい病気であり、開口障害発症後全身痙攣に至るまでの期間(いわゆるオンセツトタイム)が短かいほど重症であるとされていて、予防接種を受けていない限り、発病と同時に死が約束されている病気だと言われている。康次の場合、原告らの主張するところによると、潜伏期間は一週間以内であり、オンセツトタイムも短い方であるから、康次に侵入した破傷風菌は悪性なものであり、その破傷風はきわめて重症のものであつたといえる。

しかも、康次が被告の診療を受けたのは、受傷後すでに四日も経過した段階であつたのだから、この段階では右のような重症の破傷風を防止しうる適切な処置はなかつたのである。原告らのいうペニシリン等の抗生物質投与による化学療法については、これが破傷風の予防に効果があるか否かについては医学上疑問が多いこと前述のとおりであるし、破傷風に対し早期防禦効果があるといわれるトキソイドについても、受傷後四日も経た時点でその効果を期待し得るかというと医学上は疑問とされているのである。したがつて、被告が初診の段階で康次に化学療法やトキソイドの大量投与を行つても、康次の死亡を避け得たかどうか疑問である。

また、康次は二月二〇日に破傷風を発症したが、その段階では被告は治療に関与しておらず、転医先の九電病院で治療を受けているのであるが、同病院における治療については、使用したウマ破傷風抗毒素血清、気管切開の時機、呼吸管理等に関し批判さるべき余地がないわけではない。このように考えると、仮に初診時およびその後の診療に際し、被告に何らかの過失が存したとしても、これと康次の死亡との間には相当因果関係がない。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1の事実のうち、原告兼次郎と被告に関する部分は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、同原告は原告兼次郎の後妻であつて、先妻の子である康次を二歳一〇月の頃から死亡するまでの約九年間にわたり原告兼次郎と共に養育して来たものであることが認められ、右事実関係からすると、原告静香は康次の事実上の養母といつても差支えないと考えられるが、この関係にどのような法律効果を賦与すべきかについては後記損害の算定において判断することとする。

二康次の受傷から死亡に至る経緯

〈証拠〉を総合すると次の各事実を認めることができる。

1  昭和四六年二月一三日午後一時頃、当時小学五年生であつた康次が、雨あがりの九電病院建築工事現場において、右足蹠に長靴を通して釘を踏みぬき負傷した。創傷部位は右足裏の親指のつけ根より若干踵寄りで、深さは皮下脂肪組織の一部に喰い込むほどであつた。そこで、原告兼次郎が自宅で、足を水洗いしたあとオキシフル消毒をし、赤チンを塗布して包帯をしてやり、一六日まで同様の自家治療を行つたのであるが、同日頃から康次の右患部が赤く腫れ、痛みがあつたので、一七日の午前九時半頃原告静香が康次を連れて増田外科医院を訪れ、被告の治療を受けた(右日時に康次が被告の治療を受けたことについては当事者間に争いがない。)。

2  その際、康次に付添つていた原告静香は被告に対し、「四日前に釘を踏みました。痛がりますので連れて来ました。」と述べたが、被告はそれ以上に受傷の具体的状況等について問診することもなく、直ちに患部の治療にとりかかつた。康次の患部は、二ミリメートルくらいに発赤し、炎症を起していて、中心部に釘のささつた痕跡が残つていたので、被告は患部に局所麻酔をしたうえで釘のささつた跡を中心に皮膚を十字型に四ミリメートルほど切り、その角を切除し(辺縁切除)、オキシフルで消毒しガーゼを傷口に押し込んで異物等を吸い取る処置(ドレン)を行つたが、創底まで十分に切開しなかつたためか、その時にはなんら異物が出なかつた。そこで患部にガーゼを当てて包帯し、化膿を防止するためサルフア剤の一種であるメトフアージン(抗生物質ではない。)二グラム(二日分)を与えた。処置後、原告静香は破傷風が傷口から感染する恐しい病気であることをかねがね聞き知つていたため、康次がこれに罹患するのではないかと心配して被告に対し「破傷風は恐いですね。」と尋ねたのであるが、被告は単にこれを肯定する程度の返答をしたのみであつた。

3  一八、一九日の両日も康次は増田医院へ通院した(この点も当事者間に争いがない。)が、その時はガーゼ、包帯の取替をしたのみで、被告はそれ以外に何ら診察も治療もしなかつた。しかし康次は一八日の夕食時頃から口が開きにくいと原告らに訴えるようになり、この頃から前記創傷より侵入した破傷風菌が原因で破傷風の前駆的症状が起りはじめていたのであるが、原告らは右症状が破傷風の前駆症状とは知らなかつたため、その原因は虫歯によるものと考え、翌一九日には康次を近くの助広歯科医院へ通わせ、虫歯の抜歯治療を受けさせた。

4  翌二〇日の午前六時半頃から康次が首が痛いと訴えるようになり、同八時半頃には身体を反らせるような症状を呈しはじめた。そこで原告兼次郎は前記歯科医院に電話して相談したが、歯からそのような症状は起らないといわれ、右足の傷口もほぼ治つていたためその傷が原因であるとは思いつかず、内臓に原因があるのかとも考え、増田医院へは行かずに直ちに前記九電病院内科の診察を受けた。この段階ではすでに全身痙攣の症状が起つていたため、同内科の医師は、康次の症状を見て破傷風の疑いを持ち、外科の坂元秀三医師の診察を受けさせたところ、同医師は、康次の症状と数日前に足に釘を踏んだという経緯から破傷風と診断し、康次を直ちに入院させて治療を開始した。

5  同医師は直ちに患部を切開したところ、化膿はしていなかつたが皮下脂肪組織付近から砂様の異物が数個以上摘出された。また同医師は、直ちに輸液を開始し、その後一〇時半頃届けられた破傷風ウマ抗毒素血清一〇万単位を静脈注射し、その他抗生物質、抗痙攣剤、利尿剤等を投与した。その日は一応痙攣も少しおさまつたが、翌二一日午前中からは喘鳴がひどくなり呼吸が困難となつて来たので、痰を吸引したり抗痙攣剤、抗生物質等を与えて呼吸を確保したところ、同日及び二二日は血圧、脈拍、呼吸等はさほど悪い状態ではなく、小康状態を保つていた。しかし二三日には喘鳴がひどくなり呼吸が困難になつて来たため、気道を確保する意味から、一三時五五分気管切開を行い人工呼吸器で呼吸を補助、管理したところ、再び小康状態をとり戻した。ところが二四日午前四時四五分頃チアノーゼが出て来て、脈も非常に弱まつて来たため、強心剤、呼吸興奮剤等を与えたが好転せず、さらに午前五時三〇分頃心臓内にボスミンを注射し、心臓マツサージ等を行つたがこれも効果なく、午前六時過ぎ康次は死亡した。

以上のとおり認められる。原告静香本人尋問のうちには、二月一七日の初診の際、被告が康次に注射したり、その患部を切開して辺縁切除した様子はなく、処置は三分程の簡単なものであつたという部分があるが、その前後の供述からすると、同原告は被告が行つた処置をはつきり目撃した様子ではないので、この点は、局所麻酔をして患部を切開、辺縁切除した旨明言する被告本人の供述の信ぴよう性を否定し去るに足るものではない。他方、被告は、本人尋問において二月一七日の初診の際、康次の患部を十分に切開し、創底まで消毒して異物を除去する処置をした。自分が実験したところでは靴を通して釘を踏んでも砂は入らないから、傷口に砂が残つていたとすれば、被告の治療後に入つたものだろうと述べているが、前記認定のとおり、二月二〇日に坂元医師が傷口を切開した際、傷口の奥の脂肪組織付近から砂様の異物がかなりの個数出て来たことは同医師の証言により明らかであること、同証言によると、傷口には深く切開したような痕跡が残つていなかつたことが認められること、被告の実験は古釘でなく新しい釘を使用しているが、康次がどのような釘を踏んだか明らかでなく、その点工事現場であつたことからすれば、むしろ古釘の可能性も考えられるところ、もし古釘のように表面が平滑でないものを踏み抜いた場合、その表面に付着していた異物が靴底を通して傷口に入ることは常識的に考え得るところであるから、被告の実験はあまり根拠とならないこと、康次は一九日まで増田医院で通院治療し包帯を取替えてもらつていること前示認定のとおりであり、原告静香の供述によると、康次は、二〇日まで学校も休んで自宅にいたことが認められること等考え合わせると、被告本人の右供述部分は採用することができず、他に前記各認定を左右する格別の証拠はない。

三破傷風の病理、症状、予防、診断及び治療について

〈証拠〉を総合すると以下の各事実を認めることができる。

1  病理

破傷風は、通常土壌中に存在する破傷風菌の胞子が創傷部から体内に侵入し、そこで発芽し菌体となつて増殖し、それより出される体外毒素(以下単に毒素という。)が中枢神経系、特に運動神経節細胞と結合し、その興奮性を高めて身体各部の緊張痙攣を起すものと考えられている、破傷風菌は、地域差はあるものの、土壌中に広く存在するが、嫌気性であるため、創傷部から侵入しても、創縁の組織障害と循環障害(壊死、挫滅、血腫、嚢形性)、竹又は木片、砂、布片等の異物の存在、他の菌、特に好気性菌の混合感染、全身的な酸素欠乏状態等の一定の条件がなければ発芽、増殖しないが、一度発育し始めると、その代謝の結果ますます発育に好適な環境が作られるので、予防や治療を行う場合この点は十分考慮されねばならない。創傷から菌が侵入しても発病する頻度は極めて低く、その感染率は二%程度で、発症率は更に極端に少ないという昭和四一年頃の福岡市内での調査例もある(後記する昭和四一年の日本における患者数が四五三名であることを参照のこと。)。しかしその低い発症率の中でも、古釘、木片等による刺創の場合の発症率が一番高く、その割合は三二%であるという昭和四四年頃の調査例もあり、また傷口が土などで汚れている場合は当然発症率が高くなる。

2  症状

受傷による破傷風菌の感染から症状発現までのいわゆる潜伏期は普通六ないし一四日であるとされているが、典型的な前駆症状は、顎の筋肉の緊張による開口障害(牙関緊急)や顔面筋肉の痙攣による泣き笑い表情(破傷風顔貌)等に始まり、頸部、体幹、四肢へと痙攣強直が進攻していくものであり、重症の場合は呼吸筋の強直による呼吸困難、窒息、嚥下性肺炎等により死に至るものである。右のような症状の進展は、毒素の中枢神経への吸着量の増加及び吸着部位の拡大に起因するものと考えられている。

3  予後

前述のように破傷風の発症率は極めて低いが、発症後の死亡率は伝染病中でも極めて高く、昭和四一年の我国における患者数四五三名に対し死者は三二一名でその死亡率は七一%にものぼつている。死亡率は潜伏期あるいは開口障害から全身痙攣までの期間いわゆるオンセツトタイムが短かいほど高く、調査時期は不明だが、潜伏期一週間以内九一%、二週間以内八二%、三週間以内五〇%とか、オンセツトタイム二日以内七五%、三日以内二八%、四日以内8.5%とかいわれている(最近は、潜伏期よりもオンセツトタイムを予後の指標にした方がよいとの意見が強い。)。しかし破傷風抗毒素血清の普及、改良、対症療法の進歩、改善により死亡率は除々に低下しつつある。

4  予防

(一)  健康時の予防

受傷前における予防方法としては、トキソイドを接種しその能動免疫に期待する方法が顕著に効果的であるとされており、人体に十分な免疫性を付与するには、初回0.5ml、その一か月後に0.5ml、その六ないし一二か月後に0.5ml皮下注射をして基礎免疫をつけ、その後は五ないし一〇年毎に0.5mlの皮下注射をして追加免疫をつける必要があるとされている。このトキソイドの予防接種は欧米では早くから普及しているが、我国では昭和四四年になつてようやく新生児に対し百日ぜき、ジフテリアのワクチンと混合してトキソイドを接種すること(いわゆる三種混合ワクチン)が制度化されたにすぎず、それ以前の普及率が極めて低かつたため、同年以前に生まれた者については、トキソイド接種による免疫性はほとんど期待し得ない状況にある。

(二)  受傷時における予防

(1) 創傷処置

受傷時における予防処置としては、先ず創傷から侵入した嫌気性の破傷風菌の菌体の除去に努めるとともに、菌の発育環境を悪くしてその増殖を抑制するため、挫滅、壊死組織の切除、異物の除去を行い、創傷の辺縁切除をなし、深い汚染創傷については開放創とし、そのうえで十分な消毒と洗滌を行うことが古くから当然の処置として要求されている。

(2) 抗生剤の投与(化学療法)

抗生物質による化学療法とは、抗生物質のある種のもの(代表的なものはペニシリン)が、破傷風菌の胞子に対しては全く効果がないものの、胞子が発芽、増殖するのを阻止し、菌を死滅させる作用を有するという点を利用するものである。したがつて、胞子が侵入した場合は続々と菌体が生成される可能性があるので、長期にわたり継続的に投与しなければ十分な予防効果は期待できないともいわれている。しかし、前記創傷処置と併用して行われるときは、短期投与であつても、すでにその段階で生成されている菌体を死滅させ、また同時に侵入した他の好気性菌を死滅させることにより、破傷風菌の発育条件を悪くするという意味で一定の予防効果があることは早くから認められていた。

(3) 受動免疫

破傷風抗毒素ウマ血清は既に中枢神経細胞に結合した毒素に対しては殆ど効果がないが、中枢神経に向つて進攻して行く毒素を中和する作用を有するもので、その効果は大きいのであるが、異種蛋白であるため、アナフイラキシーシヨツクなどを起し死亡する危険があり、しかもいつたんこれを使用すると、後日蝮にかまれたり、ジフテリアに罹患したとき、その治療にウマ血清療法が施しえず、重大な事態が危惧される等の問題もある。したがつて予防のためにウマ血清を使用するのは避けるべきで、症状が発現して以降この治療を施すべきだとされている。ただ血清療法による効果が出るまでには少なくとも四日はかかるとされていることから、効果の発現以前に死亡する例も多くあり、ここに血清療法の限界があるといわれる一方、発病後三六時間以内であれば、血清療法により全治の望みがあるともいわれている。最近はヒトから採られた血清(いわゆる破傷風ヒト抗毒素血清グロプリン)も開発されており、これはウマ血清のような危険性がないのであるが、一般開業医に普及し始めたのは昭和四九年以降である。

(4) 能動免疫

トキソイドは、前述のように、本来は能動免疫効果を利用するものであるから、受傷前に基礎免疫レベルに達するに必要な量と回数の接種を経ていなければ十分な免疫効果を期待し得ないものであるが、昭和四六年当時においては、非免疫者に対し、受傷当日、四日目及び七日目にそれぞれトキソイド0.5mlを接種(皮内注射、但し皮下注射でもよい。)してその能動免疫効果に期待する方法が受傷時における予防方法として勧められていた。しかしこの場合でもその免疫性が現われるまでには一週間位を要するため、潜伏期の短かい症状に対しどれほどの予防効果があるかは疑問が多いとされていた。

(5) トキソイドの大量接種

昭和四二年頃から千葉大学の桜井助教授によりトキソイドの早期防禦効果に関する研究が公にされていた。この考え方は、受傷後直ちに(二四時間以内)に大量(二CC程度)のトキソイドを接種すれば、破傷風の発症を防止し、かりにこれが防止できなくとも死亡の危険性は大幅に低めることができるとするものであり、その機序は、トキソイドが変性させられた破傷風毒素蛋白で病原性はなくなつているが神経組織と結合する能力が残つているため、受傷直後に大量接種したトキソイドが神経組織と結合し、傷口から進行して来る毒素の結合を妨げ、次いでトキソイドから産生される抗毒素により毒素を中和することができると考えられている。この考え方に従い、昭和四六年当時には臨床医の間において、受傷時における予防処置としてトキソイドを大量接種することが積極的に推奨され始めていたのであるが、他方当時発行されていた臨床医家向けの外科雑誌「外科治療」(乙第四号証の一)において述べられている破傷風の臨床講義では、トキソイドの早期防禦効果に関する記述は全く見られないことからすると、前記新説がその当時既に臨床医の間に一般化していたかどうか疑問のあるところである(他にこれを首肯させるに足りる証拠もない。)。しかも、受傷後二四時間以上経過した時点でもトキソイドの早期防禦効果があるかどうかについては、その当時ではこれを否定する見解があり、使用する場合でも気休め程度にしか考えられていなかつたようである。もつとも前記桜井助教授のその後の研究では、受傷後の経過日時を問わず発症前であれば大量のトキソイドを投与することにより、破傷風症状の進展をいくらかでも防止することができ、死亡の蓋然性を低めることが可能であることが実験的に確認されているが、この見解はいまだ公にされていない。

5  診断

破傷風の診断は、外傷に次ぐ発病と特有の強直性痙攣性発作とを見れば通常容易である。殊に牙関緊急(開口障害)・後弓反張・破傷風顔貌等があれば一層容易となる。しかし開口障害等破傷風の前駆症状が出る以前の潜伏期においては、患者が破傷風に罹患しているか否かの判断は極めて困難である。

6  治療

破傷風は破傷風菌の産生する毒素による中毒性疾患であるから、治療の方針としては、第一に、新たな毒素の産生を防止すること、第二に速やかに血中に遊離している毒素を中和させること、第三には既に神経組織と結合している毒素が無毒化するまでそれによつて生じる様様な症状に対し適切な対症的治療を行うことの三点である。そこで先ず毒素源である創傷の外科的処置及び破傷風菌の増殖を阻止し、混合感染、合併症状に対処するための化学療法を急がねばならず、次いで抗毒素血清の大量静脈注射(一〇万単位、多くとも二〇万単位以上は無効である。)により中枢神経に結合する以前の遊離中の毒素の中和をはかる必要がある。特に血清療法は前述のようにその効果が現われるまでに四日はかかると考えられており、そのためか発病後三六時間以内であれば全治の望みもあるともいわれているので、早期診断により早期に着手する必要がある。ただし、血清はすでに中枢神経に結合した毒素を中和する力がなく他にこれに効果のある方法はないので、すでに発現した痙攣等の症状に対しては対症療法を施す以外になく、抗痙攣剤、利尿剤の投与、輸液等による栄養補給、痰などの吸引及び気管切開による気道の確保、人工呼吸器、呼吸興奮剤等による呼吸の補助、管理等が通常とられる手段である。

以上のとおり認められ、右認定を左右する格別の証拠はない。

四被告の過失について

前記二(康次の受傷から死亡に至る経緯)認定の事実によれば、被告は康次の破傷風感染以降の時から開口障害が発現するまで、いわゆる潜伏期からオンセツトタイムにかけて康次の診断治療に従事したのであるが、原告らは被告の潜伏期における診療を問題として指摘主張しているので、この間の診断および治療が適切になされたかどうかが検討されなければならない。そのためには、開口障害等の前駆症状が顕われない段階での破傷風との確定的診断が下しえないことは明らかだから、結局、第一に康次に破傷風罹患の可能性があつたかどうか、第二に、あつたとした場合に被告はその可能性を認識したか、第三に、施された治療およびその後の教示は適切であつたかが順次検討される必要がある(第一と第二は、第三の判断の前提となるにすぎない。)。

1  康次の破傷風罹患の可能性

この点については、前認定の康次の受傷と破傷風の病理とによれば、肯定されるべきであることは明白である。

2  被告は破傷風感染の可能性を認識したか

原告らは、被告が康次を診察した際、破傷風に感染する可能性を考えなかつたと主張するので、この点について検討する。被告本人尋問の結果によると、被告は二月一七日の初診の際、原告静香から康次が釘を踏んだ旨を聞き、当然破傷風感染の可能性を考えたというのであるが、同時に多くの外傷患者の治療に当つているのであるから逐一破傷風罹患の具体的危険性まで考えて治療する余裕がないとの趣旨のことも述べており、前記認定の問診、治療経過及び被告の主張の趣旨に照してみても、被告が考えた破傷風感染の可能性とは、単に抽象的な可能性についてだけであつて、具体的な危険性まで考慮していなかつたことが明らかである。たしかに、外傷患者のうちで破傷風に感染する率は極めて低いこと前記認定のとおりであるし、原告らの主張するような香椎地区が特に破傷風の危険地区であるとする医学上の調査報告例を認める証拠もなく、被告が康次の傷害について破傷風感染の具体的危険性を考えなかつたことは一見やむを得ないことの様ではある。しかし、破傷風はいつたんその症状が発生すると、死亡の危険性が極めて高いものであつて治療が困難であること及び釘などによる刺創の場合は他の傷因に比較して破傷風の発病率が最も高いものであること前記認定のとおりであるから、被告が考えた抽象的可能性の段階であつても、外科医としては、相応の予防処置を講ずべき注意義務があつたということができるのみならず、康次の刺創は、雨あがりの工事現場で釘を踏んだことによるものであるから、傷口の汚れも軽視し得ないものがあつたことは推認に難くなく、またその深さも皮下脂肪組織の中まで達するほどのものであつたことを考えれば、より具体的に破傷風感染のおそれを考えてしかるべきであつたといえる。しかるに、被告は原告静香及び康次に対し、問診により受傷時の具体的状況を詳細に確認するという基本的行為を怠り、また患部の診察により傷の深さを十分確認することも怠つたこと前記認定事実から明かであり、そのため被告は康次が破傷風に罹患するより具体的な危険性を考えなかつたものということができる。

3 被告の施した治療は適切であつたか

以上1および2を前提に、本論に入ることにする。この検討にあたつては、康次に対してなされた唯一の治療行為即ち創傷処置が適切であつたか、他に破傷風予防処置が何らとられていないことに問題はないか、が論ぜられなければならない。

(一) 施された創傷処置について

受傷時における適切な創傷処置が、古来から破傷風予防の最初の基本的処置とされてきていることは前記(三の4の(二)の(1))したとおりである。これは、破傷風症状を発生させる基となる毒素を産生する破傷風菌とその場所を除去することを目的とする以上、破傷風の潜伏期である本件の場合(受傷から四日目)にもあてはまること理の当然である。しかるに、本件においては被告のとつた創傷処置は、創底に砂様の異物を残すという不完全なものであつたこと前記認定のとおりであり、この点においてまず被告の過失は免れ難いというべきである。

(二) 化学療法を行わなかつたことについて

化学療法の破傷風予防にもつ意味は前記(三の4の(二)の(2))したとおりである。被告がペニシリン注射等の化学療法を施さなかつたことは被告の自白するところであるが、この点につき被告は、当時も現在もそれが有効な処方であるとの定説はなく、その効力は疑問とされていた旨主張するのであるが、右主張を裏づける証拠はない。たしかに、化学療法は、長期、継続的に行つてはじめて効果があるといわれていたこと前記のとおりであるが、右創傷処置と併せて化学療法が施されれば、短期投与でもそれなりの予防効果があることも前記のとおりであるから、被告としても二月一七日の初診当日及び一八、一九日の治療にあたつた際康次に対し抗生物質を投与すべきであつたということができ、これを怠つた点は被告の過失であるということができる。

(三)  受動免疫(血清)療法を行わなかつたことについて

破傷風抗毒素血清療法の破傷風予防にもつ意味は前記(三の4の(二)の(3))したとおりである。被告が右療法を行わなかつたことは、被告の自白するところであるが、右療法(当時広く使用されていたのは、ウマ血清であつて、ヒト血清ではなかつた。)には、前記のとおり重大な副作用のほか、別の問題点も指摘されていたので、破傷風の症状が発現しない段階で破傷風抗毒素ウマ血清の注射療法を施すのは妥当でないから、本件において右療法を施さなかつた被告の態度には何らの落度はないと考えられる。

(四)  能動免疫(トキソイド注射)療法を行わなかつたことについて

能動免疫療法(大量のトキソイド接種療法は除く。―これについては次に述べる。)の破傷風予防にもつ意味は前記(三の4の(二)の(4))したとおりである。被告が右療法を行わなかつたことは、被告の自白するところであるが、右療法は、受傷当日、四日目、七日目にそれぞれトキソイド0.5mlを注射するが、その効果があらわれるまで一週間位を要するとされていたことも前記したとおりである。本件の場合受傷時から四日を経過していたのであるから、右処置をなすか否かは被告の裁量にまかされているというべきであつて、それをしなかつたことをもつて被告の過失と判断するのは不当である。

(五)  トキソイドの大量接種療法をとらなかつたことについて

トキソイドの大量接種療法の破傷風予防にもつ意味は前記(三の4の(二)の(5))したとおりである。被告が右療法を行わなかつたことは被告の自白するところであるが、右療法が、殊に受傷後二四時間経過後であつても、破傷風予防に効果があるとの考えは、本件事件当時は勿論のこと現在においても、少くとも一般臨床医家の間で当然の措置とは考えられていないことも前記したとおりである。そうだとすると、受傷から四日を経過した本件において、被告がトキソイドの大量接種療法をとらなかつたことに何ら非難すべき点はないといわなければならない。

4  被告の治療後の教示について

被告が原告静香に対し、破傷風の前駆症状たる開口障害について教示し、それがあらわれたときは直ちに医師の治療を受けるよう指示しなかつたことは被告の自白するところである。その正当性につき被告本人は、右のような教示は無暗に患者側を神経質にさせるからしない旨供述している。しかし、前記した破傷風の恐しさ特に発症後の治療は可及的早期に着手しなければならない点を念頭におけば、破傷風罹患の現実的可能性との相関関係のもとで、右教示についての法的義務の有無が判断されねばならない。本件についてこれをみれば、康次には破傷風罹患の現実的可能性がかなり高い蓋然性で(一般の創傷患者に比較して)存したことは前記したとおりであり、この点について被告は、現実的可能性を認識せず、単なる抽象的可能性の認識しかもちえなかつたことも前記した。そうだとすると、被告が右教示を全く怠つた点に医師として軽率な点があつたのではないかとの感を禁じえない。

5  一応のまとめ

以上要するに、被告の康次に対する治療およびその後の一連の経過を観察すると、初診時の創傷処置の不手際、初診日およびそれに続く治療日にペニシリン等の抗生剤の投与を施さなかつたことならびに破傷風の前駆症状とそれがでた場合の指示を全く欠いた点(これらはいずれも、康次および原告静香に対する問診の不十分さおよび創傷処置の不手際(砂様の異物の存在を看過したこと)とあいまつて、破傷風罹患の現実的可能性を抱きえなかつたことに端を発していることは、前記認定より容易に推測されるところである。)が重要な事実として指摘できるのであり、これは康次に対する治療ならびに康次および原告静香に対する教示が、本件事故当時の一般開業医として要求される臨床医学上の知識技術を駆使して適切になされなかつたことを意味するのであり、不法行為の成立要件たる過失の存在は否定しうべくもない。(以上のとおりであるから、あえて債務不履行責任についての判断はしない。)そこで更に進んで困果関係につき検討を加える。

五因果関係について

1  有無について

康次が二月一三日に受けた右足蹠の創傷により破傷風に感染して死亡したこと、康次の破傷風は潜伏期が一週間以内、オンセツトタイムが二日足らずであつたから、その死亡率は九一%以上あるいは七五%以上といわれる部類に属する重症であつたことは前記二、三で認定したところより明らかである。したがつて、受傷後四日も経過した段階で診察した外科医としては、破傷風による死亡を防止すべき予防処置がなかつたから康次の死亡は被告の過失と因果関係がない旨被告は主張する。確かに、これまでの認定事実によれば、康次には昭和四六年二月一三日の受傷時に破傷風菌の胞子が侵入し、それが菌体に発育、増殖し、毒素を産生して中枢神経に結合し、一八日夕方には開口障害が発現(従つて、一三日から一八日までの五日間が潜伏期間)し、二〇日に全身痙攣をきたし(従つて、一八日から二〇日までの二日間がオンセツトタイム)たのであるから、被告の初診時(二月一七日)には、既に破傷風の毒素はどんどん産生され、中枢神経に吸着し続けていたことは容易に推測できるところである。しかし、破傷風の症状は吸着する毒素の量及び吸着部位の拡大と関係するのであるから、二月一七日の段階で被告が適切な創傷処置を行いさらに同日から一九日まで化学療法を施しておれば毒素の発生源を除去し、或いはその後の菌の発育環境を悪くし、破傷風菌の増殖を阻止し、死滅させることが出来たのであり、それらがなされておれば、康次における破傷風の潜伏期間とオンセツトタイムが多少長期化し、その結果死亡率が一層低くなつたであろうと推測できる(オンセツトタイムが三日以内の場合は二八%の死亡率である点を想起すべきである。)。その上で適切な教示等がなされておれば、康次は一八日中に血清療法を受けることができたはずであるところ、すでに認定したところによると、血清は注射後四日位経て効果が現われるため発症後三六時間内に注射すれば全治の望みがあるともいわれており、康次の場合は被告が教示を怠つたため開口障害発症後三六時間以上経てようやく血清注射を受け、その後ちようど四日目即ち血清の効力が生じる日に死亡したものである点を考えると、康次が一八日中に血清療法を受けておれば、その死亡の蓋然性は更に一段と低くなつたであろうと考えられる。そうすると、被告の過失と康次の死亡との間に相当因果関係があると解するのに困難はない。尚、被告は全身痙攣がおきた後の診療担当医坂元秀三に治療上の過誤があつたから被告の過失と康次の死亡との間に因果関係はない旨主張するが、前記二の5及び三の6の各事実に照らせば同医師の治療に特に問題があるとは窺えず、他にこの点を認めるに足りる証拠はない。

2  割合について

右のように、被告の過失と康次の死亡との間に相当因果関係の存在を認めることはできるのであるが、康次は受傷後四日目にして被告の初診を受けているのであり、これに前記した破傷風の予後と被告の過失をも考え合わせると、被告の過失が康次の死亡に全面的に関係し、康次側に生じた損害の全額を被告において負担すべきであるとするのは衡平の見地からも妥当でなく、結局本件においては、諸般の事情を考慮すると被告の過失が康次側に生じた損害額の四割の限度で康次の死亡に関連したものと解するのが相当である。

そこで、以下損害額について考える。

六損害の算定

1  弁論の全趣旨によれば、亡康次の葬儀は原告兼次郎が主宰し、その費用を支出したことが認められるが、右葬儀費用については、前示事情を考慮すると被告に負担させるべき額は金一〇万円をもつて相当と認める。

2  康次の逸失利益

康次が死亡当時満一一歳と一一月余りでほぼ一二才の児童であつたことは、前示甲第二号証の一により明かであるところ、同人は満一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であつたと考えることができ、その間に昭和四六年賃金センサス第一巻第一表全産業全男子労働者の学歴計の平均給与額である年収一一七万二二〇〇円の収入を得ることができたであろうと考えるのが相当である。そして右収入額から生計費として五割を差引き、一八歳までの養育費支出を年一二万円と見込み、中間利息の控除方法としては民事法定利率によるライプニツツ方式を用いるのが相当であるから、これらにより康次の死亡時の過失利益現価額を算定すると金七三三万七一五五円(円未満切捨、以下同じ)となる。その算式は次のとおりである。

117万2200円×0.5×18.6334−(117万2200円×0.5+12万)×5.0756=733万7155円

そして、右逸失利益額のうち被告において負担すべき分はその四割なので金二九三万四八六二円となるが、康次の相続人が父の原告兼次郎と母の訴外西(旧姓)タツエの二名のみであることは前示甲第二号証の一により明らかだから、原告兼次郎は右金額の二分の一の金一四六万七四三一円の損害賠償請求権を相続したものといえる。しかし原告静香については、同原告が事実上は康次の養母の地位にあつたこと前記認定のとおりであるにしても、同原告が康次に対し扶養請求権を有するとの法律効果を認めることはできないから、これを侵害されたとする同原告の主張は失当である。

3  慰藉料

康次死亡による原告兼次郎の慰藉料は、前示認定の被告の過失の内容、程度、因果関係の割合その他諸般の事情を考慮し金八〇万円と認めるのが相当であり、同静香については、右事情と康次を二歳一〇か月の頃から約九年間にわたり養育して来た事実上の養母と認められる点を考慮し、民法七一一条の母に準ずるものとして金四〇万円の慰藉料を認めるのが相当である。

4  以上によると、原告兼次郎の損害額は金二三六万七四三一円、同静香のそれは金四〇万円となる。

七結論

よつて、原告らの本訴請求は、被告に対し不法行為による損害賠償として、原告兼次郎について金二三六万七四三一円、同静香について金四〇万円とこれらに対する康次死亡の日である昭和四六年二月二四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行及びその免脱の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(権藤義臣 蓑田孝行 小林克美)

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